— 人物紹介 —
概要
豊臣秀吉は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・天下人。農民(または足軽)の子から身を起こし、織田信長に仕えて頭角を現した。信長の死後、その後継者としての地位を確立し、天下統一を成し遂げた。日本史上、最も劇的な立身出世を遂げた人物として知られる。
生涯
出自と立身
天文6年(1537年)頃、尾張国中村で誕生。出自については諸説あり、農民の子とも足軽の子ともされる。若くして織田信長に仕え、草履取りから身を起こした。
信長の家臣として
知略と実行力で次第に頭角を現し、墨俣一夜城の逸話や金ヶ崎の退き口での活躍など、数々の功績を挙げた。天正5年(1577年)、中国地方の毛利氏攻略を命じられ、播磨・但馬・因幡を次々と制圧した。
天下人への道
天正10年(1582年)、本能寺の変で信長が死去。秀吉は「中国大返し」と呼ばれる驚異的な速さで京都に引き返し、山崎の戦いで明智光秀を撃破した。これにより信長の後継者としての地位を確立。
翌年の賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を破り、天正13年(1585年)には関白に就任した。
天下統一
天正15年(1587年)の九州平定、天正18年(1590年)の小田原攻めにより、天下統一を達成した。
朝鮮出兵と晩年
文禄元年(1592年)と慶長2年(1597年)の二度にわたり朝鮮出兵を行ったが、成果を得られないまま、慶長3年(1598年)に伏見城で死去した。
評価
秀吉は、身分制度が固定化していた時代に、最下層から天下人にまで上り詰めた稀有な人物である。太閤検地や刀狩りなど、後の江戸時代の社会体制の基礎となる政策を実施した。一方、朝鮮出兵は国力を消耗させ、豊臣政権衰退の一因となった。「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」の句は、その積極的な性格を表すものとして知られる。




