今日はなんの日 戦国のできごとカレンダーを見る
お知らせ武将合戦2026年06月28日

立花宗茂と大津城の戦いのページを公開しました

戦国武将・立花宗茂の詳細ページと、大津城の戦いの合戦ページを公開しました。「西国無双」と称された九州の名将でありながら、関ヶ原の改易から旧領・筑後柳川への復帰を唯一果たした立花宗茂の生涯を年表形式で解説し、宗茂ら西軍を関ヶ原本戦に間に合わせなかった京極高次の籠城戦・大津城の戦いの経過を時系列で紹介しています。

戦国武将・立花宗茂の武将ページと、大津城の戦いの合戦ページを公開しました。

立花宗茂

立花宗茂は、豊後の大友氏に仕えた高橋紹運の長男に生まれ、名将・立花道雪の婿養子となって立花家を継いだ武将です。島津の大軍から立花山城を守り抜き、文禄・慶長の役では明の大軍を撃破して「西国無双」「鬼将軍」と称されました。秀吉からは「東の本多忠勝、西の立花宗茂」と並び称されています。

関ヶ原では秀吉への恩義から西軍に属して改易されますが、その器量を惜しまれて徳川家に復帰し、元和6年(1620年)には旧領・筑後柳川への復帰を果たしました。西軍に与して改易されながら旧領を回復した、唯一の大名です。

大津城の戦い

大津城の戦いは、慶長5年(1600年)9月、関ヶ原の戦いの直前に近江・大津城をめぐって行われた攻防戦です。東軍に通じた城主・京極高次が約3千の兵で籠城し、立花宗茂ら約1万5千の西軍がこれを攻めました。

立花勢の鉄砲戦術や大筒の前に城は9日間で開城しますが、その日はまさに関ヶ原本戦の当日。西軍はこの1万5千の大軍を本戦に投入できませんでした。自軍を大津に引きつけた京極高次の働きは家康に高く評価され、敗者でありながら若狭一国を与えられて国持大名となります。

— 関連する武将 —
— 関連する合戦 —