本多忠勝と小牧・長久手の戦いのページを公開しました
戦国武将・本多忠勝の詳細ページと、小牧・長久手の戦いの合戦ページを公開しました。徳川四天王の一人として生涯57度の合戦で傷を負わなかった「東国無双」の猛将の生涯を年表形式で解説し、秀吉と家康が対決した小牧・長久手の戦いの経過を時系列で紹介しています。
戦国史の杜に、新たに本多忠勝の武将ページと小牧・長久手の戦いの合戦ページを公開しました。
本多忠勝
徳川四天王の一人で、生涯57度の合戦でかすり傷一つ負わなかったと伝えられる猛将です。愛槍「蜻蛉切」を手に、姉川の戦いでの単騎駆けや小牧・長久手の戦いで500名の兵で秀吉の大軍に立ちはだかった逸話は特に名高く、秀吉から「日本第一、古今独歩の勇士」と称されました。関ヶ原の戦い後は伊勢桑名10万石の藩主として藩政の確立に尽力し、桑名藩創設の名君と仰がれています。
年表では、13歳の初陣から徳川四天王としての主要合戦、関ヶ原での奮戦、桑名藩主としての晩年まで、63年の生涯を時系列で紹介しています。
小牧・長久手の戦い
天正12年(1584年)、羽柴秀吉と織田信雄・徳川家康が尾張を中心に激突した全国規模の戦役です。池田恒興の三河中入り作戦を家康が察知して壊滅させた長久手の戦いでは、池田恒興・森長可が討死する織田・徳川軍の明確な勝利となりました。最終的に秀吉と信雄・家康の和睦で終結しましたが、この戦いで家康が秀吉に軍事的に屈服しなかったことが、後の天下取りの基盤となりました。
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