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お知らせ武将合戦2026年09月27日

滝川一益と神流川の戦いのページを公開しました

甲州征伐の後に上野一国を与えられて関東の取次役となった織田家の宿老・滝川一益の武将ページと、本能寺の変の直後に一益が北条氏と争った神流川の戦いの合戦ページを公開しました。

滝川一益の武将ページと、神流川の戦いの合戦ページを公開しました。一益は天正10年(1582年)の甲州征伐で武田勝頼を討ち、上野一国を与えられて織田家の関東支配を担いましたが、わずか3ヶ月後に本能寺の変が起こり、神流川で北条氏と戦うことになります。

滝川一益

近江国甲賀郡の出身とされ、甲賀の国人の一族とする説も有力な織田信長の宿老です。伊勢攻略の先鋒として頭角を現して北伊勢5郡を本拠地とし、長島一向一揆の鎮圧では水軍を率い、長篠の戦いでは鉄砲隊の総指揮を執りました。甲州征伐では武田勝頼を天目山麓で討ち取り、上野一国と信濃2郡を与えられています。後代の軍記物が「関東管領」と呼んだ地位ですが、同時代史料では確認できません。

本能寺の変の後、神流川の戦いに敗れて伊勢へ退いた一益は、清洲会議に出席できず織田家中での地位を失いました。賤ヶ岳の戦いでは柴田勝家方について所領を没収され、小牧・長久手の戦いでは秀吉方として蟹江城を攻めたものの敗れ、天正14年(1586年)に越前大野で死去しています。

ページでは、誕生から死去までの28項目の年表、長男・一忠や次男・一時をはじめとする子女・養子をまとめた家系図、忍者説・「関東管領」説・茶器「珠光小茄子」の逸話を取り上げたFAQを収めました。

神流川の戦い

天正10年6月16日から19日(1582年7月5日〜8日)にかけて、武蔵国賀美郡周辺で滝川一益と北条氏直・氏邦が争った戦いで、戦国時代を通じて関東で最も大きな野戦ともいわれます。信長の死を知った北条氏は、表向き協調を伝えながら5万の兵で上野に侵攻しました。1万8千の兵で迎え撃った一益は、18日の初戦で北条氏邦の鉢形衆を破りましたが、19日の決戦で氏直の軍勢に敗れます。

一益は上州衆の人質を返して互いに謡を交わし、碓氷峠・木曽谷を経て伊勢へ退きました。北条氏はそのまま信濃へ進出し、上杉・徳川との三つ巴の争い(天正壬午の乱)へと発展していきます。

ページの内容は、本能寺の変から一益の伊勢帰還までを8項目で追ったタイムライン、北条軍11名・滝川軍14名の参加武将と兵力・損害、FAQ3問です。あわせて関連書籍を1冊追加しました。

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