淀殿の武将ページと、小谷城の戦いの合戦ページを公開しました。
淀殿
浅井長政とお市の方の長女で、実名は茶々。妹の初・江とあわせて浅井三姉妹と呼ばれます。父の小谷城、母の再婚先である北ノ庄城と二度の落城を生き延び、やがて豊臣秀吉の妻となって鶴松と秀頼を産みました。
秀吉の死後は幼い秀頼の後見として大坂城に入り、京都の高台院とともに豊臣家を支えます。慶長20年(1615年)、大坂夏の陣に敗れ、秀頼とともに山里曲輪で自害しました。
ページでは、「淀殿」「淀君」がいずれも江戸時代以降の呼称であること、同時代の史料が正室に準じる扱いで記録していること、生年をめぐる二つの説など、近年の研究で見直されてきた点もあわせて記載しています。
小谷城の戦い
天正元年(1573年)、織田信長が浅井長政の居城・小谷城を攻略した戦いです。金ヶ崎の戦いで同盟を破棄して以来3年にわたって信長と争ってきた浅井氏は、この戦いで滅亡しました。
決め手となったのは羽柴秀吉による京極丸の奇襲でした。本丸の長政と小丸の父・久政を分断され、久政は自害。長政も9月1日、赤尾屋敷で自害します。落城の直前、長政は妻のお市の方と三人の娘を織田軍に引き渡しました。この三人が後の浅井三姉妹です。
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