柴田勝家のページを公開しました
織田信長の宿老・北陸方面軍司令官として越前・加賀・能登・越中に勢力を広げ、賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉に敗れて自害した柴田勝家の武将ページを公開しました。
柴田勝家の武将ページを公開しました。「鬼柴田」「かかれ柴田」の異名で知られる織田家筆頭家老の生涯を、萱津の戦いの初陣から北ノ庄城での自害までを22イベントの年表・家系図・FAQ3問で詳しく解説します。既存の賤ヶ岳の戦い・姉川の戦い・長篠の戦いの各合戦ページからも自動でリンクされます。
柴田勝家
柴田勝家は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将で、織田信長の宿老。若い頃は織田信勝を担いで信長に敵対した稲生の戦いで敗れて降伏、後に信勝の謀反を密告して信長の家臣となりました。上洛戦の先鋒、姉川の戦い、比叡山焼き討ち、長島一向一揆、長篠の戦いなど信長の統一事業に従軍。天正3年(1575年)に越前一国を平定して北ノ庄城主となり、翌年には北陸方面軍司令官に任命され、前田利家・佐々成政らを与力として加賀・能登・越中に勢力を広げます。「甕割り柴田」「知恵柴田」の逸話や、生涯を軍事に費やした武辺者としての姿、フロイスが伝える温情ある人柄まで、宿老の実像を紹介します。
本能寺の変後の清洲会議で織田家後継者を巡り羽柴秀吉と対立し、信長の妹・お市の方を継室に迎えたのち、天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗れ、居城・北ノ庄城でお市の方らとともに自害しました。享年62。連れ子の浅井三姉妹(茶々・初・江)は城外に落ち延び、豊臣・京極・徳川の各家に嫁ぐことになります。
賤ヶ岳の戦い(既存ページ)
柴田勝家と羽柴秀吉が織田家の主導権をめぐって激突した天正11年(1583年)の決戦。佐久間盛政の大岩山砦奇襲、秀吉の美濃大返し、前田利家の戦線離脱、そして北ノ庄城落城までを詳しく解説しています。今回の勝家ページ公開により、柴田軍側の視点からも読み解けるようになりました。