武田勝頼と長篠の戦いのページを公開しました
戦国武将・武田勝頼の詳細ページと、長篠の戦いの合戦ページを公開しました。武田信玄の四男から家督を継ぎ、武田氏最大規模の領国を築きながら天目山に散った武田氏最後の当主の生涯を年表形式で解説し、織田・徳川連合軍の野戦築城と鉄砲が武田軍を打ち砕いた戦国史の転換点・長篠の戦いの経過を時系列で紹介しています。
戦国武将・武田勝頼の武将ページと、長篠の戦いの合戦ページを公開しました。
武田勝頼
武田勝頼は、武田信玄の四男として生まれ、母方の諏訪氏を継いで「諏訪四郎勝頼」と名乗った武将です。兄・義信の廃嫡により世子となり、信玄の死後に甲斐武田氏第20代当主として家督を相続しました。信玄も落とせなかった高天神城を攻略するなど武威を示しましたが、長篠の戦いで織田・徳川連合軍に大敗し、信玄以来の宿将を多数失います。
敗戦後は上杉氏との甲越同盟など外交の再建によって武田氏最大規模の領国を築いたものの、御館の乱を契機に北条氏との甲相同盟が破綻。織田・徳川・北条の包囲を受け、天正10年(1582年)の甲州征伐で重臣の離反が相次ぐ中、天目山への途上の田野で自害しました。「家を滅ぼした暗愚の将」という江戸時代以来の評価に対し、近年は再評価が進んでいる武将です。
長篠の戦い
長篠の戦いは、天正3年5月21日(1575年6月29日)、三河国の長篠城をめぐって織田信長・徳川家康連合軍約3万8千と武田勝頼の軍勢約1万5千が激突した合戦です。信長は設楽原に三重の馬防柵と土塁を築く異例の野戦築城を行い、大量の鉄砲で武田軍の突撃を迎え撃ちました。
約8時間の決戦の末に武田軍は総崩れとなり、山県昌景・馬場信春・内藤昌秀ら信玄以来の宿将が相次いで討死。織田信長の「天下人」への台頭を決定づけた、戦国史の転換点となる一戦です。磔にされながら援軍の到来を城に伝えた鳥居強右衛門の逸話や、実在が疑問視される「鉄砲三段撃ち」など、数々の物語でも知られています。