お知らせ武将合戦2026年04月26日

長宗我部元親と中富川の戦いのページを公開しました

戦国武将・長宗我部元親の詳細ページと、中富川の戦いの合戦ページを公開しました。元親の生涯を年表形式で解説し、中富川の戦いの経過を時系列で紹介しています。

戦国史の杜に、新たに長宗我部元親の武将ページと中富川の戦いの合戦ページを公開しました。

長宗我部元親

土佐国(現在の高知県)の戦国大名・長宗我部氏第21代当主です。幼少期は「姫若子」と揶揄されるほど大人しい性格でしたが、初陣で武名を挙げて以降、一領具足を率いて土佐を統一。さらに阿波・讃岐・伊予に勢力を拡大し、四国全土をほぼ制圧しました。豊臣秀吉の四国征伐で降伏後は土佐一国を安堵され、九州征伐・朝鮮出兵に従軍しました。

年表では、初陣から土佐統一、四国制覇、秀吉への降伏、戸次川での信親討死、朝鮮出兵まで、61年の生涯を時系列で紹介しています。

中富川の戦い

天正10年(1582年)、本能寺の変後の情勢を利用して元親が阿波に侵攻し、十河存保を破った戦いです。約2万3,000の長宗我部軍が5,000余の十河軍を三方向から攻撃し、約20日間の攻防の末に勝瑞城を落城させました。この勝利により阿波の大半が長宗我部氏の支配下に入り、四国制覇への道が大きく開けました。

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